さくら葬祭葬儀用語辞典
- 2018年09月21日
火葬 (かそう)
火葬(かそう)は、遺体を葬るための処理の一つで、遺体を焼却することである。また、遺体の焼却を伴う葬儀全体。
火葬をおこなう施設や建築物を火葬場と呼ぶ。日本では、火葬の後の「焼骨」は骨壷に収(拾)骨され、土中に埋葬(法律的には「焼骨の埋蔵」)されるか、納骨堂等に収蔵されることになる(墓地、埋葬等に関する法律第2条)。従って、「葬儀の方法の一つ」というよりも、その、一過程であるという考え方もある。また、安定化、減容化処理の方法と言うことも出来る。公衆衛生的な利益と言う面も見逃せない。廃棄物の衛生的処理と同じ考え方とも言える。死体がいわゆる「生ゴミ」と全く同じ性質のものであるからだ。 散骨される場合もあるが、現在では条例等により禁止・規制している地方公共団体も出現している。
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- 2018年09月21日
火葬場 (かそうば)
火葬場(かそうば、crematory)とは、遺体を火葬するための施設。
初期のものは「三昧」と呼ばれる木材や藁を燃料とした簡易な火葬炉があるだけ、あるいは集落の集会場と火葬炉といった素朴・単純なものだった。 近年建設された建物については、火葬炉と炉前ホールの他に、最後の別れをする告別室と骨上げを行う収骨室が備えられていることが多い。一部の大規模な火葬場は通夜・葬儀が行えるように式場と親族控室、遺体冷蔵用の霊安室を併設しており、売店や骨上げまでの待合室として喫茶室などが設けられている総合斎場もある。
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- 2018年09月21日
家族葬 (かぞくそう)
家族葬(かぞくそう)とは、葬式の形態のひとつ。
基本的に、近親者のみで行う葬儀。密葬と似ているが、こちらはごく身近な友人、知人も参列してそのほとんどが火葬場まで共に行く。儀礼的な弔問は受けないということである。特徴は通夜と告別式といったセレモニーを少人数でも行う事である。 密葬の場合は、ほとんど遺族のみでお別れをして火葬というパターンが多く(「直葬」とも呼ばれる)、後日改めて本葬式をする。家族葬は、前述した通り、通夜・告別式を行い、本葬式は行わない。 一般消費者が考え出した言葉ではなく、日本で1990年代に葬儀社が1つの戦略として作った言葉である。小さな家族中心でのお葬式という事で家族葬という言葉を使ったのが始まりである。近年では、家族や家族みたいな付き合いのある人を中心とした葬儀という意味で使われていて、葬儀の「様式」や「宗教形態」をなんら規定するものではない。従って、通常のお葬式のように各宗教、宗派の聖職者も来てもらっての葬儀になる。宗教色なしで、故人の好みで行う葬儀の形態として、自由葬というものもある。 家族葬は、小規模なお葬式の名称として捉えるのが良い。
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- 2018年09月21日
亀甲墓 (かめこうばか)
亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、かみぬくー(亀の甲)ばか)は、沖縄県に多い墓の形式のひとつ。この他に破風型(破風墓)、家型(屋形墓)というのが、沖縄県に多い墓の形式であり、本土にあるような四角柱形の石の墓はあまり見られない。
亀甲墓は、沖縄本島の中南部によく見られる。こうした墓は、沖縄県の他に台湾、香港、中国本土では福建省など中国南部に多くあり、大陸からの伝播ではないかと見られている。 一般に緩やかな斜面に多く見られ、亀の甲羅状の石の屋根の下に、畳にして4畳から大きい場合は8畳くらいの石室が設けられている。 亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味している。中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を黒冬し、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、白秋(壮年期後期)を経て、老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。これで一生の円環が閉じるのだが、この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、北の玄冬(老年期)に充てられているのが、伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と見られる。 春の彼岸には、各地で馳走を用意して、その家の亀甲墓の前で歓談しながら食事をしたり飲酒をしたりする習慣(清明祭)が残っている。 これを墓と知らない人たちにとっては、一見防空壕やトーチカのようにも見え、第二次世界大戦(太平洋戦争)の最中、アメリカ海軍の艦船がこれをトーチカと誤認して砲撃を浴びせたということもあったという。日本兵も実際に簡易なトーチカとして利用した。 古来日本列島全体に風葬の習慣があったが、沖縄県ではこの習慣がこの墓と融合し、死後数年間は遺骸を石室内に放置し、数年後に親族(特に長男の嫁)で洗骨して改めて骨壷に納骨して石室に収めることから、石室内部は広く設けられている。近年では沖縄県でも本土同様に火葬するケースが多くなっていることから、小規模な亀甲墓も見られるようになってきた。 なお「夜になると入り口の戸が開く」という伝説が古くから沖縄県では伝わっているのだが、残念ながら今のところ目撃例は無い。
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- 2018年09月21日
外人墓地 (がいじんぼち)
外人墓地(がいじんぼち)は、駐在外国人のための墓地。
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- 2018年09月21日
北枕 (きたまくら)
北枕(きたまくら)とは、頭を北の方角へ、足を南の方角へ向けて寝ることを指す。
仏教の祖である釈迦が入滅の際、北の方角へ頭を置いて横になった“頭北面西”(ずほくめんさい)といわれることから来ている[1]。これは仏教が将来、北方で久住するという考えから“頭北”が生まれたものである。ただし、この説は北伝の大乗仏教のみで後代による解釈でしかない 日本では釈迦の故事にちなみ、死を忌むことから、北枕は縁起が悪いこととされ、死者の極楽往生を願い遺体を安置する際のみ許されていた。
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- 2018年09月21日
屈葬 (くっそう)
屈葬(くっそう;Flexed burial)とは、文化人類学や考古学で、埋葬の際、死者に手足を折り曲げた姿勢をとらせた方法、または、そのような埋葬の状態をいう。蹲葬という人もいる。
上体が寝ていて背を下にした、つまりあおむけの屈葬を仰臥屈葬、横腹を下にした形を横臥屈葬、腹を下にした形を俯臥屈葬という。また上体を立てた形を座位屈葬という。屈葬の程度にも膝頭が胸に密着する姿勢もあれば、伸展葬というには、膝が曲がっていて、伸展葬を意識した埋葬の方法をとっていないものまで、埋葬の姿勢のみでは定義しきれない部分もある。屈葬を行った理由としては、墓坑を掘る労力の節約、休息の姿勢、胎児の姿を真似ることによる再生を祈る、死者の霊が生者へ災いを及ぼすのを防ぐため、など様々な説がある。
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- 2018年09月21日
供物 (くもつ)
供物(くもつ)とは、宗教儀礼として神仏や先祖、あるいは故人など、信仰・崇拝を目的に、霊前に捧げる供え物をさす。教義によりさまざまな供え物があるが、神道では米や飯、酒などのほか玉串、青果物、生魚、干物、菓子類の飲食物等。正月には、鏡餅を供える。仏教では神道同様の供え物のほかに生花なども供える。
日本においては、神々に感謝・祈願し霊を鎮めるため神社などに供物を捧げる習慣が、古来から神道儀礼として定着してきた。 とりわけ稲作中心の農耕文化であったため、気象条件により年によっては凶作となった。そこで、新米など新しい五穀を供えてその年の収穫に感謝し、豊作を祈願する稲作儀礼がさかんに行なわれ、その一端として天皇家で行なわれる新嘗祭や大嘗祭にもその儀礼が伝わっている。 農耕に限らず、神社信仰においては、大漁、安産、地鎮祭、七五三詣などはもとより私的な細事に至るまで、日頃から供物を捧げて祈願する。神社などの儀礼施設に限らず、個人の居宅にも神棚を設けて、榊や灯明とともに神饌と呼ばれる供物を捧げることにより家内安全や招福を祈願し、今日でもその伝統は残されている。
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- 2018年09月21日
供養 (くよう)
供養(くよう)とは、サンスクリット語のプージャーまたはプージャナーの訳で、仏、菩薩、諸天などに香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。 日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多く、これから派生して仏教と関係なく死者への対応という意味で広く供養と呼ぶこともある。また動物等に対する供養、さらには針供養のように生き物でない道具等に対する供養もある。
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- 2018年09月21日
香典 (こうでん)
香典(こうでん)とは、仏式等の葬儀で、死者の霊前等に供える金品をいう。香奠、香料ともいう。
「香」の字が用いられるのは、香・線香の代わりに供えるという意味であり、「奠」とは霊前に供える金品の意味である。通例、香典は、香典袋(不祝儀袋)に入れて葬儀(通夜あるいは告別式)の際に遺族に対して手渡される。
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