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葬儀用語辞典

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さくら葬祭葬儀用語辞典

直会(なおらい)

直会(なおらい)は、神道における祭儀の後に行われる宴のことで、神前での儀式が終わった後、参加者が神様にお供えした食べ物やお酒を共にいただく場です。直会は、神事に参加した人々が神の加護や恩恵を分かち合い、互いに結びつきを強めるための重要な儀式とされています。

 

神道における神事では、神様にお供え物(神饌)を捧げ、神を敬い感謝の意を表します。神事が終わった後に行われる直会では、そのお供え物を神からの授かり物として頂戴し、神の恵みを体に取り入れることで、参加者が神の力を得ると考えられています。神饌には、米や魚、酒、野菜などの豊かな食物が含まれ、神と人が一体となる象徴的な行為とされています。

 

また、直会は、参加者が互いに親睦を深める場としての役割もあります。神事を共にした人々が食事を共にすることで、心の結びつきが強まり、地域や集団の団結力が高まるとされています。これは神の前での「清め」の場から、日常生活に戻るための切り替えの意味も持ち、直会を通じて参加者は、日常に戻るための心構えを整えます。

 

現代においても、直会は結婚式や地鎮祭、祭りなどで行われることがあり、神と人の交流、そして人と人の絆を深める大切な文化として受け継がれています。

灯明(とうみょう)

灯明(とうみょう)は、仏教や神道において供養や祈りの象徴として灯される灯火で、特に仏前や神前にお供えするものです。灯明は、仏の智慧や慈悲の光を表し、暗闇にいる者たちの迷いや苦しみを照らして救いへ導く存在として重要視されています。古くから燈明は信仰の象徴として、心を清め、故人や神々に対する敬意と感謝を表す手段とされてきました。

 

仏教における灯明の役割は、仏前での供養や法要の際に灯を捧げることにより、心の浄化や悟りを願うと同時に、故人が迷わず成仏できるよう祈る意味が込められています。仏壇やお墓に灯明を灯すことで、仏や祖先の霊がその光に導かれ、迷いを離れて安らかに眠れるようにという願いが表現されています。特に、法事や法要の場面では灯明を灯し、故人の冥福と安寧を祈ることが習慣となっています。

 

神道においても、神前に灯明を供えることは神への敬意と感謝の表れとされ、神々の加護と導きを祈るものです。灯明の光は、神と人との繋がりを象徴し、清らかな祈りを届けるとされています。

 

現代では、電灯の普及により蝋燭や油灯の使用は減っていますが、灯明の精神性は変わりません。仏壇に電気灯明を置いたり、法要や祈祷の際に電気灯明を灯すなどして、信仰の象徴として灯明を守り続ける風習は現在も残っています。

逮夜(たいや)

逮夜(たいや)は、仏教における故人を弔う法要の一つで、四十九日までの間に行われる「七日ごとの法要」の前夜に執り行われます。特に「初七日逮夜」や「四十九日逮夜」がよく知られており、家族や親しい人々が集まり、翌日の法要の準備や、故人の冥福を祈って夜通し過ごすことが行われます。

 

逮夜は、仏教の教えにおいて故人の魂が成仏するための重要な期間である四十九日の中で、故人への祈りを捧げ、家族が心を一つにして故人を偲ぶ時間とされています。逮夜には、僧侶による読経や、焼香、追善供養が行われ、参列者は故人の安らかな成仏を願います。

 

また、逮夜は遺族や親しい人々が集まることで、故人への思いを共有し、心の整理をする場としても重要な役割を果たします。遺族にとっては、逮夜を通じて悲しみを少しずつ受け入れ、次第に故人との別れを乗り越えていくための時間でもあります。故人が生前に築いた人間関係を再確認し、亡き人の思い出を語り合うことで、残された人々の絆が深まることも多いです。

 

現代では、逮夜の風習は地域や家庭によって異なる場合もありますが、故人に対する深い敬意と冥福を祈るという意味は変わりません。逮夜は、故人と家族の絆を確かめる大切な機会であり、日本の仏教的な弔いの文化に根付いている伝統的な儀式の一つです。

弔問(ちょうもん)

弔問(ちょうもん)は、故人の逝去に際し、遺族のもとを訪れてお悔やみの意を表することを指します。親族や友人、同僚などが遺族を訪ね、故人への哀悼の意を伝えることで、遺族を慰め支える行為です。弔問は、通夜や葬儀の場で行われるほか、家庭や職場で行われる場合もあります。

 

弔問の際には、まず遺族に対してお悔やみの言葉を述べます。言葉は慎み深く、相手の気持ちに寄り添ったものが適切です。代表的な弔問の言葉としては「この度はご愁傷様でございます」「心よりお悔やみ申し上げます」などが用いられ、無理に励まそうとする言葉よりも、静かに共感を示す姿勢が大切です。

 

また、弔問には香典を持参することが一般的です。香典は故人への供養の気持ちを込めたものであり、遺族への支援を意味します。訪問の際は、服装や態度にも気を配り、丁寧な言葉遣いや控えめな態度で遺族に接することが大切です。

 

弔問は、単なる挨拶ではなく、遺族が悲しみに暮れる中で心の支えとなる行為です。また、故人との縁を改めて思い返す機会でもあり、故人に対する感謝や哀悼の気持ちを共有する場でもあります。遺族に寄り添い、慎重に思いやりを込めて接することが、弔問において最も重要な心構えです。

弔辞(ちょうじ)

弔辞(ちょうじ)は、故人の葬儀や告別式において、遺族や参列者を代表して故人への別れの言葉を述べることです。故人を悼み、故人の生前の人柄や功績、思い出を語ることで、故人に対する感謝や敬意、哀悼の意を表します。

 

弔辞を述べる役割は、通常、故人の親しい友人や同僚、親族の中から選ばれます。弔辞の内容には、故人との出会いや共に過ごしたエピソード、故人の人柄に触れた思い出などが含まれ、故人の温かさや魅力を思い出させる内容が重視されます。弔辞の最後には、故人への感謝の言葉や、安らかな眠りを祈る言葉で締めくくります。

 

弔辞は、遺族や参列者にとっても故人との思い出を共有する時間であり、故人の死を悼む場でもあります。弔辞を通じて故人を偲ぶことで、故人の存在が心に深く刻まれ、参列者の悲しみも和らぐとされています。また、弔辞には遺族に対する慰めの意味も含まれており、故人を通じて遺族に対する感謝の意を伝える場ともなっています。

 

弔辞を述べる際には、故人への敬意を込め、慎み深く、誠実な言葉で述べることが求められます。また、弔辞を読む際には深い悲しみが伴うこともありますが、心を込めた言葉が故人への最大の贈り物となるとされています。

玉串奉奠(たまぐしほうてん)は、日本の神道における重要な儀式の一つで、神前で神に対して敬意を表し、祈りを捧げるために行われます。この儀式では、参列者が玉串(たまぐし)と呼ばれる枝を神前に捧げることによって、神々への感謝や祈願を表します。

 

玉串は、神道で神聖視される木の枝で、通常は榊(さかき)という木の枝が用いられます。榊は神木として扱われ、神に捧げるために用いられることが多いです。玉串には、枝の先に小さな葉や緑が付けられたものを使い、これが神聖さを象徴しています。

 

玉串奉奠の儀式は、神前に立ち、まず一礼をした後、玉串を右手で受け取り、左手で支えながら神前に進みます。玉串を神前に捧げる際、参列者は再度一礼をし、神に対して祈りを捧げます。玉串を奉納することで、神と人間との繋がりを深め、祈願が神に届くことを願います。

 

この儀式は、神社での祭りや結婚式、成人式、葬儀など、さまざまな場面で行われます。特に、神社での正式な儀式においては、神前での玉串奉奠が重要な役割を果たし、神聖な空間で神々に感謝の気持ちを捧げる場となります。

 

玉串奉奠は、単なる儀式ではなく、心を込めて神々に祈りを捧げる行為として、日本人の精神文化に深く根付いています。参列者はこの儀式を通じて、神々への敬意を表し、また自らの願いを込めることで、心の清浄を保ち、神聖な力を感じることができます。

卒塔婆(そとば)

卒塔婆(そとば)は、仏教において故人の冥福を祈るために供えられる木製の塔型の板で、特に葬儀や法要において使用される重要な仏具です。その名前は、インドの仏塔(ストゥーパ)を模したもので、仏教の教えを象徴するものとして、故人の魂が安らかに成仏できるよう祈りを込めて立てられます。

 

卒塔婆は、通常、木製の板に仏名や経文、故人の名前が書かれ、塔の形を模した細長い板状になります。塔の形は仏教の教義における仏の安住の場を象徴し、仏教徒にとっては魂が安住し、浄土に生まれ変わるための祈りが込められています。法要の際、卒塔婆は仏壇や墓前に供えられ、僧侶が読経をしながら、故人の冥福を祈る儀式が行われます。

 

卒塔婆には、故人が死後に早く成仏できるようにという願いが込められており、仏教では「卒塔婆を立てることによって、故人の罪が浄化され、成仏できる」とされています。特に、初七日、四十九日、一周忌などの法要で卒塔婆を供えることが一般的です。

 

また、卒塔婆は単に供養のためだけでなく、故人との絆を深めるための重要な意味もあります。遺族にとっては、卒塔婆を供えることが故人を思い出し、心の中でお別れを告げる時間ともなります。

 

現代においても、卒塔婆は葬儀や法要の中で大切な役割を果たし、仏教徒の心を支える存在です。その形状や役割は、仏教の精神性と深い繋がりを持ち続けており、故人を祀るための大切な儀式の一環として、多くの地域で行われています。

頭陀袋(ずだぶくろ)は、仏教において僧侶が修行中に使用する袋の一つで、特に持ち物を整理して持ち運ぶための道具として知られています。この袋は、古くから仏教の修行僧が日常的に使用しており、簡素で実用的な形状をしています。その名の通り、頭陀(ずだ)とは、修行の意味を含む言葉で、袋を使うことによって修行の身軽さや清貧さを象徴しています。

 

頭陀袋は、通常、布製で、長い紐がついており、肩に掛けて持ち運ぶことができます。袋の中には、僧侶が修行中に必要とする最低限の道具、例えば、経典、袈裟(けさ)、食事に必要な道具、あるいは水筒などを収納します。このように、頭陀袋は修行生活における必要最低限のものを収め、修行の精神を反映したシンプルなデザインが特徴です。

 

また、頭陀袋は「精進」や「修行」を象徴するアイテムでもあり、物質的なものに執着せず、精神的な豊かさを追求する仏教の教えに基づいています。そのため、袋の中身はあくまで必要最小限にとどめ、物を持たないことが精神的な修行の一環とされています。

 

現代では、頭陀袋は単に仏教の修行僧に限らず、一般の人々にもバッグや手提げ袋として使用されることもあります。しかし、元々は修行者の精神性を象徴する重要な道具であり、仏教的な意味合いを持ち続けています。

 

頭陀袋は、仏教徒にとっては物質的な執着から解放され、心の清浄を保ちながら生きることを促す象徴的なアイテムであり、そのシンプルさと実用性は現代にも受け継がれています。

初七日(しょなぬか)は、故人が亡くなった後、最初の七日目に行われる重要な仏教の法要です。この法要は、故人が亡くなった後、七日ごとに行われる「七日ごとの法要」の第一回目であり、故人の魂が無事に成仏することを願って行われます。

 

初七日には、家族や親しい人々が集まり、仏前で読経が行われます。仏教の教えに基づき、故人の冥福を祈るために、僧侶が経文を読み上げ、参列者はそれに合わせて黙祷を捧げます。この法要は、故人が生前に犯した罪が消え、浄土に生まれ変わるための大切な儀式として行われます。

 

また、初七日には「香典」や「お供え物」を持参することが一般的です。これらは故人への感謝の気持ちや、家族に対するお悔やみの表現として贈られます。初七日を迎えることで、家族や参列者は故人の死を受け入れ、心の中で新たな一歩を踏み出す意味も含まれています。

 

初七日は故人を悼むだけでなく、遺族が心の整理をつけ、悲しみを乗り越えるための大切な節目でもあります。また、この法要を通じて、仏教の教えを再確認し、故人との絆を深める時間でもあります。

 

初七日の法要は、故人の冥福を祈り、遺族が故人の死を受け入れ、心の平安を求める重要な儀式です。この儀式を通じて、故人と再び繋がり、共に過ごした日々を偲ぶことができます。

告別式は、故人との最後の別れを告げる重要な儀式です。遺族や親しい人々が集まり、故人を偲び、感謝の気持ちを込めて行われます。告別式では、まず遺族や参列者が静かに故人に対して哀悼の意を表します。次に、僧侶や司会者が式の進行を行い、故人の人生を振り返りながらお別れの言葉を述べます。葬儀の中で行われる読経や祈りは、故人の安らかな旅立ちを願うものであり、宗教的な儀式の一環として行われます。

 

参列者は、故人に対してお花を手向けたり、香を焚いて冥福を祈ります。告別式の後、遺族や参列者は故人の遺骨を墓地に納めるため、火葬や埋葬の手続きを行います。告別式は悲しみをともに分かち合う場でもありますが、故人との思い出を大切にし、残された人々が前に進むための大切な儀式でもあります。

 

式が終了することで、故人へのお別れをしっかりと心に刻むことができ、残された者が次のステップに進むための区切りとなります。告別式は、悲しみを乗り越え、故人を心から送り出すための大切な儀式です。

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